<6434人が犠牲になった阪神大震災から12年となる17日、兵庫県内の各地では、さまざまな追悼行事が営まれ、がれきの中から復興を遂げた街は鎮魂の祈りに包まれた。住民たちは「かけがえのない命を大切に」という思いを胸に、体験を語り継ぐ決意を新たにした。>と新聞は伝える、10年一昔というから12年といえば大震災の年も亥年ということで、干支が一回りした勘定になり時の流れは早いものだとつくづく思う。
その日までいやその大地震が来る直前まで普通の暮らしを営んでいた人々に襲い
かかってくる地震、自然の猛威は被災地の映像からも窺い知ることが出来るが、
その恐怖は私には想像もつかない、倒壊家屋の中にまだ家族が・・・非力なおのれを
怨んだ人も・・・俺のことはいいから早く逃げろ・・・と家族に言い残して息絶えた
人もあると聞く、また家族を助けるため火の海に呑まれた人も・・・まさに地獄。
ここのところ日本列島は地震情報がやたら飛び込んでくる、阪神大震災は他人事では
あるまいと日頃から避難場所の確認、こころ構えだけはしっかり持っていたほうが
おおきなパニックに落ちいらないで、多少の判断能力は出来るのではないかと・・・
不幸な出来事ではあるがこの大地震を機にボランティア増えたという、衣類、食糧などの
救援物資もありがたいが、ボランティアの汗と肉声は何にも優る生への後押しだ・・・と
被害者は声を揃えて言う、そのとおりだと思う。私もボランティアを通し、私が出来ることで
地域とかかわりそのよき住民でありたいといつも考えている一人である。
体験談を読むと心が痛む、
昨日発表した「別離(わかれ)」は 阪神大震災の心象風景が私を揺り動かして書かせた作品です。